Friends of Santa Rosa Association in Kagoshima 本文へジャンプ
長沢鼎(ながさわかなえ)


イメージ

■略歴
 長沢鼎(ながさわかなえ)は1852年、鹿児島城下に生まれました。幼名を磯長彦輔といいます。代々洋学の家系で、彦輔も1864年洋学校開成所の生徒となりました。1865年薩摩藩が派遣した留学生に選ばれ(留学生最年少で当時13歳)イギリスに渡りました。このとき長沢鼎と改名しました。
 イギリスでは、スコットランドの中学で優等の成績を修めましうた。1867年森有礼ら5人の仲間とアメリカに渡り、後にひとりカリフォルニアに永住して労働をしながら勉強を続け、大ワイン工場を興し成功しました。そして、1934年サンタローザで83歳で、亡くなりました。
 1983年日本を訪れたレーガン元大統領は「長沢は日米国に貢献した。」と彼を称えました。鹿児島サンタローザ友好協会は、この長沢鼎の功績を記念して設立された団体です。


■ロナルド・W・レーガン米国大統領の演説
 1865年、長沢鼎という若い侍の留学生は、何が西洋を経済的に強め技術を進歩させたかを学ぶために、日本を発ちました。それから10年後、彼はカリフォルニア州サンタローザに、「ファウンテングローブ・ラウンド・バーン・アンド・ワイナリー」という小さなぶどう酒の工場を開き、やがてカリフォルニアのぶどう王として知られるようになりました。
 長沢鼎は、学ぶためにカリフォルニアに来て、そこに住みつき、私たちの生活を豊かにしてくれました。侍から実業家になったこの日本人は、日米両国に多くのもたらせました。
 (日本国国会におけるロナルド・W・レーガン米国大統領の演説。1983年11月11日)